十谷から十石峠〜御殿山〜富士見山富士見山の北の稜線続きに御殿山があります。十石峠から御殿山へは登山道があるようですが、十谷集落から十石峠までは林道で、昔の山道は歩かれていないようです。地形図には破線が記されているので、この古い峠道を辿ってみることにしました。富士見山平須登山口に自転車を置いて、十谷集落からの周遊ルートにしようとの計画です。富士見山からの下りは、歩いたことのない矢細工登山道を辿ってみるつもりでした。十谷集落〜十谷峠は、かなり荒れているものの何とか歩け、十谷峠〜富士見山は、よく踏まれて歩きやすかったのですが、富士見山から矢細工への道は完全な廃道で踏み跡を失い、結局、引き返して平須へ下山することになってしまいました。
【日 程】2010年04月10日(土) ※以下、文中のカッコ付き数字(1)〜(18)は、5万分の1地形図中に印した数字の位置と、下の写真に対応しています。 矢細工へ下山するつもりだが、富士見山林道の中では最も標高の高い平須登山口に自転車を置いて(17)、車で十谷集落へ。町営バスの終点よりやや上にある無料駐車場に車を置いて出発。源氏の湯入口(1)で五開茂倉林道をそれて吊り橋(2)を渡る。 国土地理院の地形図には破線の道が沢沿いに上流へ遡った後、尾根に出るように記されている。しかし、道らしきものはまったく見あたらない。しばらくさまよってあきらめかけた頃、林の中を作業道のような踏み跡が上に向かっているのを見つける。これを辿れば上の尾根で峠への道に合流するかもしれない。木にはピンクのテープと赤いスプレーで「道」(?)という文字と矢印があちこちに印されている(3)。 途中、紛らわしいところはあったものの尾根に出ると旧道の名残らしき踏み跡があった。ところが、少し進むと(5万分の1地形図に記したA地点で)獣除けの網で行く手がふさがれてしまった。網の破れ目を探して網をくぐり、植林地帯の中を尾根通しに登ると林道に出た(4)。 林道を横切った所には十谷峠を示す木の看板が残っていた。踏み跡は途切れがちながら、尾根を忠実に辿る。北に源氏山と、その左に雪の稜線が見えた(5)。方向から考えて北岳の東の池山尾根かもしれない(後で調べたらそうだった)。十谷峠の手前で再び林道に出る。十谷峠は「通行止」の柵が閉まっていた(6)。早川町側に雪山が見える。悪沢岳だろう。 十谷峠からは良く踏まれた道を御殿山へ。木の間越しに白根三山が見えた(7)。御殿山の山頂は広く、木のベンチが置かれ、早川町が立てた「御殿山山頂」の看板がある(8)。林の中だが、富士山方向が切り開かれている。しかし、富士は雲に覆われて見えなかった。御殿山の三角点は、ここよりやや先にあった(9)。 尾根道のアップダウンを繰り返すうち、登山道をはずしてしまった所もあったが、特に問題はなく富士見山展望台に着く。御殿山では見えなかった富士が雲の上に頭を出していた(11)。駿河湾や伊豆半島までは雲で見えないが、まずまずのパノラマが広がっていた。
富士見山三角点(12)を通過して南へ向かうと、とたんに踏み跡は薄くなる。鞍部まで下って矢細工への道を探すが、踏み跡が見えない。GPSで現在地を確認しながら、地形図の道を辿るように、踏み跡のない急斜面を下る。荒れた小屋があり、錆びて文字の消えてしまった看板が残っていた(13)。確かに、ここが登山道だったのだろう。地図上の道が沢を横切るあたりまで下ってみるが、依然として踏み跡は見あたらない(14)。尾根道なら何とかなるだろうが、地形図では、この先、崖のある斜面を横切るように下っている。進むのはあきらめて、下ってきたウンザリするような急斜面を登り返すことにする。沢沿いの斜面にフクジュソウが咲いていた(15)。 再び富士見山へ登り返して、平須登山口に下る(17)。デポしておいた自転車で富士見山林道を大柳川へ。林道の途中にはダイヤモンド富士が見える日を示す看板が数ヶ所にあった。 大柳川を十谷集落へ、自転車で標高差を200m以上登るのはシンドイなと思いながら、町営バスの時刻表を見ると、ちょうどバスが来る時刻だった(18)。
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